こんにちは!ピョンコです。
数年前にピョンコは父を亡くしました。大好きなお父さんが居なくなってから改めて感じる父の愛情の深さと、それを独特な表現だったけれど父らしく私に与え続けてくれたこと。
父と母は何があっても絶対に自分の味方だと自信をもっていられたことは、実はすごいことなんだと、私は親になってから痛感しました。
我が子に愛を伝えているつもりだけれど、足りてないかもしれない。私にとっての父と母のように、我が子が心から安心できる存在になるにはどうしたら良いのか?
どうして我が子に愛を感じるの?
そもそも親から子どもへの愛とはなんぞや?から考えました。
子どもに対して自然に湧き上がってくるものなのか、何か条件つきで愛が育まれていくのか、愛しく思えない場合は母親としてダメなのか?など、ピョンコが子育てをしながら実際に感じたことなどをご紹介します。
愛情ホルモンはどこから生まれる?
そもそも愛とはなんぞや?というピョンコの頭に突如として浮かび上がった疑問から、まずは愛情ホルモンとして近年よく耳にするようになったオキシトシンという物質について調べました。
この物質のポイントとなる場所は『心の脳』とも呼ばれている『扁桃体(へんとうたい)』で、何かを見たり触ったりしたときに受ける感覚刺激に対して、心地よいか不快かを判定しているそうです。
扁桃体で心地よいという結果が出たら、その情動は視床下部へ伝達され、そこでオキシトシンというホルモンが分泌されます。
このオキシトシンの分泌によって心身がリラックスし穏やかになるなどのメリットが得られ、『愛しい』という感情に相当する反応が体験できます。
そしてオキシトシンを分泌するきっかけとなった感覚刺激に対しても愛しいと感じるようになるそうです。
あれ?じゃあ、子どもを産んだら勝手に愛しさが湧き出てくるのではなく、その子に触れたり・見たり・匂ったりして五感のどれかで心地よいと判定してから、愛しいと感じるのね。
また、この愛しいという気持ちを定着させるには、五感の刺激により心地よいと感じる反応を繰り返して脳に記憶させることで、その刺激がなくなっても心から愛しいと思えるようになるそうです。
脳みそにも色々と順序や機能があるんだね。いつもお勤めご苦労様です!
子どもを愛せないと母親失格?
結論から言いますと、全くもって絶対に失格ではありません!断じて違います。
そんな心無いことを言う輩がいたら、ピョンコがマイティ・ソーのように鉄槌をビカビカーッとさせて宇宙のもくずにしてやr…(物騒)
出産後ただでさえ母体はボロボロの瀕死状態のところに加えて、眠れぬ日々を過ごし、我が子に愛しさを感じることができない状況のとき、誰よりも産んだ本人が一番ショックを受けるんです。
罪悪感や自己嫌悪のオンパレードですよ。母親なのに、赤ちゃん泣き止まない、無償の愛を注いで育てたいのにイライラする、もっと上手くできるはずなのに、こんなにツラいのは私がちゃんとできてないせい?なんてことを常に思うのです。
さらに追い打ちで女性ホルモンも大暴れしますからね。『女性ホルモンの乱』と、教科書に記しておいてほしいくらいの暴れっぷりです。心身ともに宇宙のもくずになるのはピョンコの方でした。
しかし!
『愛しさ』とは湧き出るものではなく、五感を通じて感じるものだと知ったとき、ピョンコは目から鱗ならぬ目からコンタクトが外れそうでした。(逆に共感しにくい例えやな)
愛しさを感じないことがあっても、それは単にその時の脳の扁桃体が心地よいと判断しなかっただけです。
子どもと時間を過ごす中で、ふと匂いや触り心地・子どもの笑顔を見て、心地よいと感じたら、子どもを愛しいと思うようになるのです。
だから、愛しさを感じるかどうかはその瞬間にならなければ分からないのです。
産まれた直後の赤ちゃんを可愛いと思えなくても、それはその人の美的価値観でそのような判断をしただけであって、みんながみんな、真っ赤でシワシワのガッツ石松さん似の赤ちゃんを可愛いと感じる訳ではないのです。
同じ刺激でも、その時の自分の体調や気分によって、心地よいと感じたり不快と感じたり変わりますよね!好みも変化していきますしね。
愛は足りている?
子どもとの生活を通して少しずつ愛着を形成していき、今度は子どもが満足するだけの愛情を与えられているだろうか?と、ピョンコは新たな心配事を抱えます。(次から次へとキリがない)
愛情の量がはかれる?
実はピョンコは教育熱心で、〇〇式0才からの脳トレだの右脳トレーニングだの、幼児教育なるものに頑張って取り組んでいました。
そしてすぐに挫折しました。子育てにおいて背伸びをしていることに限界がきて、ピョンコ自身が続けられなかったのです。この程度で教育熱心といっていたことを深くお詫び申し上げます。(誰に?)
ピョンコにできることはもう愛情を注ぐことしかない!と、この挫折を味わった時に思い知らされました。キャパシティが大きくないのに、あれもこれも欲張ったらダメなやつでした。
愛情を注ぐというたった1つのミッションですが、これが実は難しいことだと感じています。
私はたくさんの愛情を4人の子ども達に注いでいると思っていますが、受け取る側の子どもの性質によって、同じ愛情表現をしても満足しない子が出てくるのです。
その子のおでこに愛情ボルテージの数値が出てきたら助かるのになぁ…そしたら、いま愛情をゴリゴリ感じていまーす!とか、いま愛情不足でピンチでーす!とか分かるのに…
こんなことを思っていたピョンコですが、よくよく子どもを観察していると、愛情が足りているのかどうかの様々なサインが出ていることに気がつきました。
この子ども達がなにげなく出しているサインを見逃さなければ、愛情の量をはかることができそうです。
子どもからのサイン
ピョンコ家の場合なので参考になるかは怪しいところですが、我が家の子どものサインをまとめました。
長女ちゃんのサイン
長女ちゃんは第1子目であり、双方の家族にとっての初孫ということもあって、あちこちからものすごく愛情を注がれています。
スキンシップも多く、常に誰かが長女ちゃんを抱っこしている環境で育ちました。あまり寝かされていないためか、現在も頭の形がすごくキレイです。
長女ちゃんから愛情不足のサインが出たことは今のところ無しです。10歳になったときの長女ちゃんにある質問をしたのですが、その回答からも愛情満タンであることが分かります。
その質問は、「長女ちゃんにとってこれだけは確実だ!と言い切れることってある?」というものです。
そしてこのように答えています。
「〇〇(長女ちゃん)は、パパやママ達から愛されてるって確信してる。」
う、う、う、うれぴー!!(語彙力よ)
今のところ長女ちゃんに関しては愛情をバッチリ受け取ってくれていました。安心しました。これからも変わらず伝えていこうと思います。
次女ちゃんのサイン
次女ちゃんは愛情を欲しているとき、学校を休みたがる・妹に意地悪をする・言葉遣いが乱暴になるなど、少しグレる傾向があります。
次女ちゃんは産まれたときから、子ども目線でみるとすでにお姉ちゃんというライバルがいる環境で育っています。
もちろんピョンコをはじめ周りの大人たちは次女ちゃんにもたくさんの愛情を注いでいましたが、次女ちゃんにとっては常に半分しかもらえていないという感覚があったように感じます。
次女ちゃんに確認した訳ではないのでピョンコの憶測でしかありませんが、いつも物足りなさを感じさせてしまったように思います。
次女ちゃんからやけ気味のサインが出たら、すかさず次女ちゃんとピョンコの2人きりの時間をつくるようにしています。特別なにかをするわけではありませんが、1対1で話をしたり本を読んだりします。
半日ほど2人きりで過ごすと、いつもの次女ちゃんに戻ります。天邪鬼なところもあるので、大げさな愛情表現はせずに、ただ一緒に時間を過ごします。
たぶん、この対応が次女ちゃんに合っていると勝手に思っているけど…違ってたらどうしましょう。(あとの祭りだな)
三女ちゃんのサイン
三女ちゃんは愛情を欲しているとき、怒りっぽくなる・ワガママになる・突然甘えてくるなど、ダイレクトに表現します。
三女ちゃんも産まれた瞬間にすでに2人のライバルがいました。そのため親からの愛情をしかと受けるべく注目を集めなければなりません。
より大きな頭・よりぷくぷくとした体で愛らしい姿をみせ、生存本能を発揮していたように思います。末っ子が天真爛漫な家族のアイドル的存在になるのは必然なのかもしれません。
三女ちゃんが小学校に入った約1か月後に長男くんが産まれ、三女ちゃんが新しい環境で少し不安になっている時期にしっかりそばにいてあげられなかったので、1年生の時は学校に行くことを激しく嫌がっていました。
ほぼ毎朝、泣いて暴れたり、その場から動かなくなったり、着替えを嫌がったりと、なかなか大変でした。
三女ちゃんからサインが出たら、分かりやすく愛情を示します。抱きしめたり、ぶちゅっとキスをしたり、こちょこちょしたり、幼児期にしてきたようなスキンシップをとっています。
抱きしめたときに、ママの可愛い可愛いぷにちゃん~と呼ばれることが嬉しいそうです。こっそり教えてくれました。
長男くんのサイン
長男くんに至っては、なにせまだ2歳前ですから絶賛・甘えん坊将軍です。しっかり愛情を注いでいる最中です。
経過観察といったところでしょうか。
まとめ
いかがでしたか。『愛しさ』とは、触る・見る・嗅ぐ・聞くなどの五感で感じ取った心地よさという刺激を、繰り返し受け取り記憶に定着させることで愛しいと思えるようになる、ということが脳の働きから分かりました。
人間を育てるということはとても大変で、1人として同じ人間はいないため子育てに正解などなく、これで良いのだろうかと常に手探りで不安が尽きません。
しかし愛情を注ぎ、子どもとの愛着を形成することは、その後の心身にとても良い影響を与えると身をもって体験しているので間違いはないと思っています。
まだまだ我が子にとって心から安心できる存在になれたという確信は持てていませんが、今日もピョンコは子どもを愛します。
なんだか照れちゃう!
以上、ピョンコでした!
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